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プロフィール

初めまして!
ピラティス・ジャズダンスインストラクターのシオリです!

ピラティスのインストラクターとしては7年目、
ジャズダンスのインストラクターとしては20年が経ちました。

SHIORI -シオリ-

家族構成 夫、息子3人、オカメインコ2羽(男の子、たぶん)
誕生日 1982.10.17
血液型 A 型
趣味 神社参拝、一人でお出かけ、ドライブ、物作り、「楽しそう」を実現させる妄想をする
好きな食べ物 焼肉、ラーメン、ジャンクフード全般
苦手な食べ物 生もの、甘い物、チョコレートはアレルギー
びっくりドンキーが私と子どもたちの行きつけです♪

陽キャだと思われがちですが実は、、、

見た目や経歴から「陽キャ」「活発」「元気」みたいな印象があるかと思いますが、
実は全く逆の人生を歩んできていました。^^;

まずダンスを始めたきっかけも、小中のイジメが原因で部活を続けられなくなって辞めまして。
当時、「何もすることないと内申点下がっちゃうよー」って担任の先生に言われて(脅されて?汗)何しようかなーと考えた時に思いついたのが『ジャズダンス』でした!

元々はフィギュアスケートをやりたかったのですが、当時は近くに習える場所がなく、
問い合わせた時にそこのコーチが「まずはジャズダンスかバレエを始めてみてはどうかな?」と。
その一言がきっかけでダンスをスタートさせたんです。

ダンスも始めた年齢が遅く、柔軟性は皆無(平均以下の以下でびっくりするくらいの硬さ、開脚はテディベアみたいな笑)、センスもゼロだったんですけど私的には気の合う仲間や先輩、
お友達もたーーーくさんできたし結構満足してたから「高校を卒業したら辞めよう」と思っていたのですが、
大学生になってやっぱり踊りたくなってたまたま行ったダンススタジオ初日でなんとレッスン後にショーダンサーにスカウトされます!!(あれ、、???)

ダンスのやりすぎでうつ病に、、、

朝から夕方は学業、そのまま放課後から夜中までダンス、休日や空き時間はイベントに出演したりショーや舞台の練習があったり、ダンスがオフの日は勉強をして・・・平均睡眠時間3時間(!!)とお酒が続いてドクターストップがかかり体調をめちゃめちゃ崩して実家に帰ることに。

病院で診てもらうと既にうつ病になっていました。

「朝は起きる」「夜は寝る」「ご飯は3食食べる」が全くできない生活だったので
とにかく普通の日常生活を立て直すことが最優先でした。
実家に帰ってきたことを元所属していたダンススタジオの先生にフラッと挨拶をしに行った時に
「いつでも帰っておいで!」と言ってもらい、なんとダンス講師として活動することに。(何もできなかったからすごくありがたかった・・・)

そこからは病院の先生と相談しながら、体調を見ながらダンスのお仕事をさせていただき
大手フィットネスクラブから外部講師としての依頼もいただきました。

そこでジャズダンスのクラスをスタートしたところ、私のダンスのクラスが評判がいいということで
「一からクラスを企画して新しいジャンルを作ってみない?」となんと店長さんから直々にチャンスをいただきました!
しかもなんとなんと企画したクラスが大評判で、当時の外部インストラクターとしては過去一番の集客があり、引き抜きのお話までいただきました。(ありがたや・・・涙)

↑私が今あるのはダンスがあったから。踊らせてもらえてレッスンまでさせてもらえる場所があって感謝しかなかったです

東京でダンスに没頭する日々

色んな経験をさせていただく中で
「私にはダンスを教えるための引き出しが少なすぎるのでは・・??」
と思い始めその後は東京にダンスの勉強に行きました!
約一年半くらいだったと思うんですけど、とにかく一日中レッスンレッスンレッスンの日々を過ごしました。

大阪公演のゲストメンバーの加えてもらったり、当時活躍されていたプロのダンサーさんやインストラクターの方とレッスンしたり、プロダンサーさんのばかりのメンバーの作品の加えてもらったり、とにかく東京じゃなきゃ経験できないダンス生活を送りました。

地元に帰ってダンスサークルをスタート!口コミのみで40名突破

その後、地元に帰ってきてからは結婚して旭川から美瑛に移住。
すぐ子宝にも恵まれて妊娠、出産!

そうして知り合いのママさんから
「うちの子たちがダンスを習いたいって言ってるんだけど見れない?」
とフリーの活動でのダンスサークルがスタートします。

本当に最初は人脈も今までのバックボーンも何もなかったので2名からのスタート。
今では口コミのみで!約40名の大きなサークルに成長しました!!涙

↑ハロウィン企画!キッズクラスだけでこの人数!みんな真面目で頑張り屋さんで私の誇りの生徒さんばかりです!

産後から毎月ギックリ腰に、、、カラダもココロもボロボロに

ダンスサークルを始めた間に子育てが始まっていたのですが、
妊娠・出産でダンスと離れた日々がつづき、鬱々としていた日々を過ごしていたと気付きました。

しかも、二人目出産後からは毎月ギックリ腰に。。泣

運動をいきなりやめたのが原因かも、、、

色々やったけど良くならなかった。。なんで何だろう、、、

今までの健康を過信しすぎていたかも、、

何から始めればよかったんだろう、、、


気付けば体も心もボロボロに。

↑この抱っこ紐スタイルでギックリ腰になった時は人生最大のピンチでした、、本当に辛かった。。しかも手足は筋肉が落ちて弱々。なのにお腹ポッコリ、お尻はダルダルで産前のズボンが入らず。

ピラティスとの出会い

大きな病院に行っても整骨院に行っても整体に行ってもカイロに行ってもどこに行っても
今までの知識じゃ何をやっても解決しなくて、何が正解なのか、とにかく毎日毎日色々調べた結果、10年前にピラティスに辿り着きます。
当時はピラティスを受けられる場所が近くにはなくて、
それなら「私がピラティスの資格を取ろう!」と思って問い合わせると
タイミングよく旭川で資格講習があるとのことで早速申し込んで、ここから私のピラティス人生が始まります。

マットピラティスの研修中、柔軟性も筋力も一般の人よりはあると自負していたんですが、
まっっっったくもってピラティスの動きが何もできない、、、、、本当に。

呼吸すら上手くできなくて、何だったらピラティスの基本の「ニュートラルポジション」すらうまくできない。
私の体ってどうなっているんだろう、と泣きそうなくらい本気で悩みました。

ピラティスの先生からは「ニュートラルポジションができるようになるだけですごく体が変わる人もいますよ」と言われたんですけど始めた当時は半信半疑でした。

3ヶ月でカラダが大きく変化!ギックリ腰も改善

そうして約3ヶ月の研修の中で、体がどんどん変わっていくのを感じて、6時間の研修時間の後の爽快感が本当に凄くて。
研修後の背中のシャッキリ感、お腹はペタンコになってるし、頭も霧が晴れたようなクリアな感じ。

気付けば、産後入らなったズボンが入るようになってる!!やった!!!

ピラティスの研修後は、

「あれ?疲れてなくない?あんなにたくさん動いたのに?」

と感じることがたくさんありました。
むしろ夜も眠れたり、もしかして元気になってる??驚

家事育児の合間を縫って、しかも産後のかなりダメージを受けている体で研修に来ているはずなのに、
こんなに動いたり頭を使ったりしているのに、ピラティスが終わった後には疲労感ではなくて、体も心もスッキリしている自分に気がつきました。

「これは、、本当にすごいメソッドなのかもしれない、、、!」

グループレッスンスタート!生徒さんにも喜びの声が!

そして無事に卒業試験に合格した後、マットピラティスのグループレッスンをスタートさせます。

グループピラティスは同じように子育てをしている主婦の方にとても好評で、当時私も未就学児の子育て真っ最中だったこともあり、主にお子様連れの方にたくさんご参加いただきました。

生徒さんからは、

「手術後のリハビリと思って通ってたけど、調子がよくなったよ」
「不眠症だったけどピラティスを始めてから睡眠薬を飲む回数が少なくなりました」
「高齢で背中が曲がり気味で不便だったんだけど背中がどんどん真っ直ぐになってきて楽になったの!」

という声をいただき、ピラティスの良さをたくさんの方に体験していただきました!

死んでる場合じゃない!

そんな中、私の体調不良が続き、精密検査をするととんでもない病気が見つかりました。

「あと何年後かに死ぬかもしれない」

手術は絶対に避けられない状況で、詳しく検査をすればするほど良くない結果に。
手術前日のお医者さんからは

「5年後の生存率は、この状況だとわかりません」

と、PCの生存率のデータ画像を見せられながら説明された時はもう何と言っていいかわかりませんでした。

そして無事手術が終わり、詳しい病理検査の結果!
そしたらなんと、、、

奇跡の良性の腫瘍ということが判明!(絶対に悪性と言われていたんです)

「私、ツイてるーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」

そして本当に私は生かされていると気が付きました。

死んでる場合じゃない、弱っている場合じゃない、ウジウジしている場合じゃない!

何よりも家族のために、子どもたちのために健康で生きていかなきゃと。
この時心の底から本気で思いました。

↑あと5年後に死ぬかもしれないから闘った記録を残しておこうと撮っておいた写真。ヘモグロビン値も6をきって輸血を2パック。術後は死ぬほど辛かった、痛かった!!!!!痛過ぎて1ヶ月くらいちゃんと息できなかったし、貧血も酷くてつねに酸欠状態。2時間で終わると言われていた手術が結果的に6時間になって、旦那はもう助からないんじゃないかって思ってたって。

もうひとつの病気が見つかり、自分のカラダと向き合うことを決意

どうしたら私も家族もみんな健康に過ごせるか、楽しく生きていけるか試行錯誤しているうちに
もう一つの病気が見つかります。

乳がんでした。

立て続けに病気が見つかった時、湧き上がってきた感情は

「今まで何十年も自分の体を蔑ろにしてきた結果だよね、自分の体なのに、ごめんね。」

という気持ちでした。

私の体のことを、私が一番わかってなくて、自分のこともわからないのに
人の健康をどうこういう資格なんてあるのか、、、指導なんてそんな偉そうなことをやってていいのか、、

「まずは自分の体としっかり向き合おう」
そう素直に思いました。

コロナ禍で自分が何者なのか、何をしたいのか、どうしていきたいのかを整理

2回目の手術の後、ちょうどコロナで自粛期間に入ったため、
体をゆっくり休めたり、自分と思う存分向き合う時間ができました。

普段はできなかった子どもたちと食べてみたい料理やおやつを作ったり、
家族でゲームをしたり、子どもたちとあつ森で島を行き来したり。。
子どもたちが生まれてから今までになかったくらいみんなで本当にゆったり過ごしました。

「もしかして、、私に足りなかったのはこういう時間だったかも、、」

家族でゆったりとした時間を過ごすことで、自分を見つめ直すことができました。
私は元々は本当にマイナス思考で、自己肯定感も本当に低くて、でもまずはここにしっかり向き合わなきゃと思って
色々な本を読んだり、ネットで色々検索したりして自分が何者なのか、一番何をしたいのか、これからどうしていきたいのかを整理していきました。

「こうならないために何とかならなかったかな」
「あの時もっとこうしていれば・・・」

自分と向き合う中でたくさんたくさん後悔したことがあったんですが、
どんどん整理していくうちに

「じゃあこれからはそうならないために生きていけばいいのでは?」
「もし万が一何かあっても、自分が周りのみんなが幸せに過ごせるようにすればいいんじゃ?」
「私がやりたかったことって?誰かをみんなを幸せにすることかも!」

という考えに行きつきました。

そして自分が健康でいることが何よりも一番大事、ということ。

ワタシはピラティスで思考も生き方も人生も変わった

ピラティスに出会ってなかったら、多分ここまで自分の心と体に気がついてあげることはできなかったと思います。
本当に私はピラティスに思考も生き方も、人生をも変えてもらいました。

子どもたちのため、家族のため、何よりも自分のために
健康で毎日を生き生きと過ごしてほしい。

自分の経験を通じて、より強く思うようになりました。

あなたの理想に向けてお手伝いさせてください

少しでも今の自分を良い方向へ変えたい、

家族のためにこれからも元気で過ごしていきたい、

何からしたらいいのかわからないけど何かやらなきゃいけないと思っている、

自分史上一番快適な体づくりをしたい、

自分に自信を持ちたい、

など、
少しでもそんな理想の自分へのお手伝いができたらいいなと!

自分の幸せは家族みんなの幸せ。
家族みんなの幸せは社会の幸せ。
社会の幸せは世界みんなの幸せに繋がると信じています♪

↑今がどれだけボロボロでも。ちゃんと向き合えばちゃーんとカラダは応えてくれます!大丈夫!きっとできます!年齢も関係ありません♪